★とっくんがお腹にいたときのこと1★1998年1月7日とっくんがお腹にやってきた。 その日、なんだか予感がした。検査薬をやってみたら「陽性」。 早速、近くにあった産婦人科へ受診。小さくてまだエコーにもうつらない。 お尻に着床を促す注射を打つ。 結婚してまだ1ヶ月。 嬉しい気持ちと6月に結婚した旦那の兄のところのオメデタの ことが頭をかすめる。色々いじわるされてたから、 またお腹の子の事も何か言われるのじゃないかと ビクビクする。 親に電話。妊娠の事を告げると 「え~やだ~うそ~。取りあえず、おめでとう」と…。 実家の母親は舞い上がってしまった。 夜、旦那に報告。 「あのね、赤ちゃんがやってきたみたいなんだけど…」 嬉しそうな、恥ずかしそうな顔をしてた旦那。 まだこの日までは幸せな気分の方が大きかったんだ。 数日後、出血…。 診療時間外の夕方。電話をすると「時間外なので明日来て下さい」のひとこと。 そうこうしてる間に下腹部が痛くなり、出血も半端じゃなくなる。 朝が来るのが待ち遠しく、一睡もできなかった。 朝一番で受診すると「ダメだ、こりゃ」 その場で入院が確定。 3月までずっとベット上安静の指事が出る。 入院中はいろんな人が居た。 後で知った事だけど、私が初めて受信した病院は 「中絶病院」と言われていたそうだ。隣のベッドで中絶後の子がすすり泣きしてた事もあった。 旦那の転勤で知らない土地の病院、良く知らずにかかってしまった、 嫌な経験も多かった、ドクターの行動、ナースの態度も???な部分が多かった。 2か月、3ヶ月 つわりがひどくて、何も食べられなかった、7キロ痩せた。 退院してすぐに、ファミレスに行き、会計時に、気持ち悪くてトイレで吐く。 唯一受け付けたのがカンピョウ巻きとうめ巻き。 毎日、これを近所のお寿司やさんで旦那に勝ってもらう。 4か月、5ヶ月 市の主催の母親学級へ行く。バスで20分、週に一回。気分転換になった。 5か月の時は病院の母親学級に行く。がそこで 血圧が急に下がって過呼吸になる。 里帰りを希望してたけど、実家近くの評判の良いIクリニックへ紹介状を書いて欲しいと 申し出るとドクターが怒鳴りはじめ、「ここで産んでもらう!Iクリニック?知らないな…」と 言うので、もうこの先生は信頼ができず、地元まで新幹線(15分)で検診に通う事にする。 |